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5分でわかるレミゼの時代背景 過去ログから転載 15/1/11(日) 3:07

5分でわかるレミゼの時代背景
 過去ログから転載  - 15/1/11(日) 3:07 -
フォンターナには中学生もいることなので、
レミゼのお話にはどんな時代背景があるのか、メモしておきます。

といっても乏しい世界史の知識と
Wikipediaの斜め読みが情報源なのでかなり怪しいもんです。
詳しい方のフォロ−がいただけたら幸いです。


さて、

フランスという国には長いこと王様がいました。

でも王様と貴族達は自分たちが豪勢な生活をするのに夢中で、
やがてちゃんと仕事をしなくなりました。
一方、まわりの国では「産業革命」が起こって、
どんどん工業化が進んで、豊かになっていきます。
フランスは取り残されちゃうんです。

みんな貧しくなる。でも税金はがっぽり取られる。
こりゃいかん、と国民が立ち上がります。
1789年、「フランス革命」が起こるわけです。
日本では、松平定信の「寛政の改革」とかの頃ですね。

ところがこれで世の中良くなると思ったら、
そううまく運ばなかった。

フランスが混乱したのにつけこんで、
周りの国がちょっかい出してきたんです。これはやばい。
そしたら戦争がとても上手なナポレオンという人が現れて、
国を守るためにおれが皇帝になるんだとか言って、
もうあっちこっちと戦争しまくるわけです。
でも負けちゃう。

戦争が終わったときには、ヨーロッパじゅう
めちゃくちゃです。
それでどうしようかと各国の代表が会議を開くんですが、
それぞれ思惑があってまとまらない。
まあ、じゃあとにかくできるだけ昔どおりに戻しましょう、と、
フランスにはまた王様がいることになりました。

これにはフランス人たちもガッカリです。
さんざん苦労して元の木阿弥なので。

それでやっぱり、また革命が起こります。
1830年の7月に起きたので、
「フランス7月革命」と言います。
日本では大塩平八郎が大砲をぶっぱなした頃です。

今回は王様は殺されずに、ただ交代するだけになりました。
この頃にはフランスでも産業革命の影響で
お金持ちが増えてたんですが、
そのお金持ちたちは大きな変化は望まず、
自分たちに都合の良い政治をしてくれさえすれば
王様がいてもいいよと思ったんですね。

で、革命の結果また王様がいることになりました。
これを「7月王政」と言います。

ちなみに7月革命をテーマに描かれたのがこの絵です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E8%A1%86%E3%82%92%E5%B0%8E%E3%81%8F%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%A5%9E

一説によれば、絵の右で勝ち誇ってる二挺拳銃ボーイは
ガヴローシュ君のモデルになった、と言われていますよ。

まあそんなわけで、お金持ちのための政治なので、
当然貧乏人たちは面白くない。
なめんな、と思うわけです。
そしてあちこちで宴会と称して世の中どうあるべきかを
大いに議論するんですが、
最初はこれを黙認してた政府が、とうとう禁止しちゃった。
これに反発して、爆発します。
1848年の2月に起きたので、これを「フランス2月革命」
と言います。
日本ではペリーの黒船がやってくるあたりですね。

2月革命によって7月王政は倒され、
選挙で選んだ代表が政治をする「共和制」がとりあえず実現します。

「レ・ミゼラブル」という物語は、こういった
歴史の流れが組み込まれています。

たとえばマリウスは、最初、ナポレオン万歳!の青年で、
王様万歳!のおじいさんとケンカして家出し、
その後、共和制の実現を目指すようになる、
といった具合です。

さて、それでは一体、レミゼのバリケード事件は
ここまでの歴史のどこにあたるのか。

それは、7月革命と2月革命の間、1832年に起きた、
日本語版のWikipediaには説明が見当たらないほどの
事件でした。

それは「6月暴動」と呼ばれますが、
日本語版Wikipediaでその語で調べると、
1848年、2月革命直後の事件の方が出てきてしまいます。

でも実際には、こちらの事件のようです。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Insurrection_r%C3%A9publicaine_%C3%A0_Paris_en_juin_1832

フランス語なのでわけわかりませんが、

見出し語の「Insurrection républicaine à Paris en juin 1832」
は、確かに
「1832年6月の、パリでの共和主義者の暴動」という意味のようです。

「Les funérailles du général Lamarque(ラマルク将軍の葬儀)」
という、物語中の記述に対応した見出しも見えます。

なので、レミゼのバリケード事件に、よりマニアックに肉薄しようとするなら
これを読めばいいようです。

政府軍30000人に対して、共和主義側は3000人。
政府軍が死者73人、負傷者344人、
共和主義側が死者93人、負傷者291人、
という記述が見えます。

バリケードのおかげか、圧倒的な兵力差の割りには
互角の戦いだったようです。

しかしやはりまだ機は熟さず、
共和制が2月革命で成るまでには
さらに16年の歳月が必要でした。
その時、マリウス38歳、コゼット33歳です。


以上、5分でわかるレミゼの時代背景でした。

引用なし

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