次回演目の「ミス・サイゴン」は、一度見ただけではなかなかわかりづらいお話です。
その理由は主に次の2点にあります。
まず「ベトナム戦争」という歴史上の事件が物語の縦糸になっているため、その背景知識が無いと、どんな波に登場人物たちが翻弄されているか見えてきません。
一方、登場人物同士の関係が横糸になっていますが、その人物たちの国籍がさまざまで、物語の進行とともに、その居場所や立場も大きく変わります。それらが必ずしも十分に説明されていないこともわかりづらさになっています。
そこで各曲がそれぞれどんな場面で、どうつながっているか、簡単に書いてみました。
ご参考になれば幸いです。
なお、曲の順番、構成はフォンターナ版となっておりますことをご了承ください。
0.物語の背景
ベトナムは中国の南に位置する南北に細長い国です。
明治維新のころフランスの植民地になり、その後、第二次世界大戦期には日本軍が駐屯しました。自由平等博愛を掲げるフランスによって植民地支配が行われたり、アジアの解放を掲げた日本軍が駐屯と引き換えにそれを認めたり、人間の世界はいろいろとちぐはぐな事が起こります。
日本が敗戦した直後、さあいよいよ民族の独立だとグエン・アイコックことホー・チ・ミンがベトナム民主共和国の建国を宣言します。ところがそこにフランスが植民地支配を立て直そうと戻ってきます。また戦争です。1946年、インドシナ戦争が勃発します。中国がホー・チ・ミン側に加勢して勢力拮抗し、細長い国ベトナムは南北に分かれてにらみ合う形になりました。フランスの言うことをきかない北ベトナムと、言うことをきく南ベトナムです。ここに資本主義と共産主義の対立がなだれこんできます。アメリカが参戦します。
ここで、資本主義というのは工場や田畑とかを私有してよいという考え方です。それに対して、共産主義では基本的に認めません。なぜ認めないかといえば、資本主義でお金持ちが工場や田畑を一人占めしてしまって、貧しい人たちがひどい目にあった。その反省なわけです。けれども私有しちゃいかんというのは不自由だろうと。それに金持ちではなく役人が管理しても不正は起こるし、第一不経済なことばかりやってだめだ、ということで、資本主義も共産主義も、それぞれに問題を抱えています。ちなみに「レ・ミゼラブル」の背後にあったのも実はこの2つの考えの対立です。
第二次世界大戦後の世界というのは、この2つの勢力の激しい覇権争いでした。ベトナムは、その直接の衝突の場になったのです。
1960年代になると、アメリカは共産主義に対抗して南ベトナムを支援するため軍隊を送りこみました。最新鋭の装備を持った最強の軍隊です。それに対してホー・チ・ミン率いる北ベトナムはゲリラ戦で対抗します。ゲリラ戦というのはつまり奇襲戦法です。肥桶をかついだ農民がすれ違いざまに撃ってきたり、体格の良いアメリカ兵がもぐれないような細いトンネルを女子供が通って、思いもよらないところから攻撃してきたりするわけです。
これにアメリカ軍はすっかりまいってしまいます。事態打開のためにジャングルに枯れ葉剤を撒いたり農村を焼き討ちしたりするのですが、その様子がマスコミにより全世界に報じられ、戦争の大義は失われます。四方八方敵に囲まれている感じ、そして何のために戦っているかというむなしさに兵士は心を病んでいきます。
そしてついに1975年、アメリカは撤兵を決断するのですが、そこに至るまでのベトナム人側の被害も惨憺たるものでした。
「ミス・サイゴン」のヒロイン、キムは、このベトナム戦争の混乱の中で両親を殺され17才で孤児になります。そして南ベトナムの首都サイゴンで途方に暮れていたところを、エンジニアと呼ばれる男に拾われます。男が彼女を連れて行ったのは「ドリームランド」、女性たちの悲哀と華やかさが同居する世界でした。
1.序曲
「ドリームランド」は駐留しているアメリカ兵たちが一夜の夢を見に来る場所です。エンジニアはこの風俗店の経営者で、世渡り上手な手腕のためそうあだ名されています。働いている女性たちはその手腕をともかくも信頼して今日も仕事に精出しています。生活のため?お金のため?それもあります。でもそれ以上に、豊かな国アメリカに逃げ出すチャンスを狙っています。エンジニア自身が、誰よりそれを強く願っています。
今日は、キムの売春婦としての初仕事の日です。
2.火がついたサイゴン
前線では激しく戦闘が行われています。いや、もはや前線などというものはなく、どこもかしこも戦場なのです。そして首都サイゴンはじわじわ追い込まれています。そんな状況で、兵士たちは絶望で発狂するかわりにドリームランドで乱痴気騒ぎをして、そして女たちにすがりついています。
ジョンというアメリカ兵が、ふさぎこんでいる戦友クリスを元気づけるため二人で遊びに来ています。
店の中ではミスコンが開かれ、優勝者は「ミス・サイゴン」と称されます。今夜の「ミス・サイゴン」はキムではなくジジでした。
3.我が心の夢
兵士たちに夢を売るドリームランド。一方で売る側の女たちにも夢はあります。それは映画を通して垣間見たアメリカの豊かな暮らし。もし、アメリカ兵の誰かをつかまえて結婚にまで持ち込むことができたら夢ではなくなるかもしれません。けれど相手は遊びに来ているのです。心を、体を、もてあそび、もてあそばれして、男も女もはかない夢を売り買いしています。
4.キムとクリス
ジョンはクリスに、景気づけに女をおごってやろうとします。おれが金を出してやるから女でも抱いて元気出せというわけです。ところがクリスはそんなもの、と乗り気ではありません。一方エンジニアはここぞとばかりキムを売り込みます。いよいよ初仕事です。クリスは周囲に促されて、しぶしぶキムと一夜をともにします。
5.神よ何故
しかし二人は、その一夜で激しい恋に落ちます。クリスは戸惑い、自問しますが、もはやその心は自分の制御の届かない所にありました。
クリスはかつて一度戦場から帰国していましたが、本国に戻って感じたのは周囲の冷たい視線でした。もはや戦争の大義が失われていたためです。いたたまれず、彼はまるで死に場所を求めるごとく戦場に戻りました。
しかし今、異国の田舎娘キムが、彼にとっての生きる意味になりました。
6.この金は君のもの
喜びの気持ちを伝えようと、クリスはキムに金を渡そうとしますが、キムは拒否します。その理由を答える中で、キムは自分の身の上話を語ります。強く心打たれたクリスは、結婚を申し出ます。
7.サン・アンド・ムーン
お互いを月と太陽になぞらえ、愛を伝えあう二人。太陽と月は昼と夜、別々の世界で輝いていますが、今それは、かりそめ同じ世界にいます。月に照らされた夜は終わろうとして、地平線が白んでいます。過ぎようとしている一瞬一瞬を、二人はいとおしみ、惜しんでいます。
8.電話
キムと少しでも長く一緒にいたい一念で、休暇をとるためクリスはジョンに電話をかけます。
キムともう一日ともにしたいと呑気と言うクリスにジョンは過酷な現実を告げます。アメリカ側は決定的な敗北を喫し、もはやサイゴンの陥落は時間の問題でした。
9.結婚式
無理に頼んだ休暇を利用して、クリスとキムは結婚式を挙げます。結婚式といってもこれはベトナムの儀式で、アメリカの法律にのっとって入籍したというわけではまだありません。エンジニアはそれに乗じてアメリカ行きのビザを要求しますが、やはりうまくいきません。店の女たちは、一番後から来て一番先に出ていくキムを複雑な思いで見ながらも祝福します。それは自分たちの夢がただの夢だけに終わらないという一つの証でした。ジジは、あなたが本当のミス・サイゴンねと祝福します。
皆でベトナム語の祝いの言葉を唱えますが、クリスにはわからず、ただ不思議で美しい歌として響きます。
10.トゥイの侵入
祝いの雰囲気は、数名の若者の乱入によって一瞬にして破壊されました。
若者の一人はトゥイ、キムの幼馴染でいいなづけでした。普通の農村の青年だったトゥイは、戦争がおこってからベトコンに入ります。ベトコンというのは正式名を「南ベトナム解放民族戦線」と言い、「ベトナム・コンサン(共産)」を縮めた通称です。つまり、南ベトナムからアメリカを追っ払うことを目的とする武力組織です。なお、通称といってもこれは日本人のことをジャップと呼ぶような、蔑みを込めた使われ方をした言葉です。自称として使われることはありません。
キムにとっていいなづけの約束は、自分の意志なく取り交わされたものでした。キムはトゥイを嫌っていますが、トゥイは違いました。戦争の真っ最中、敵地のただ中にキムを探しにきたのです。
11.世界が終わる夜のように
結婚式はぶち壊されましたが、ともかく結婚は成りました。
もう夢に慰めを見出す必要はなくなり、これからは確かに触れ合えるお互いが人生の慰めであり、希望です。
12.悪夢
しかしジョンの警告通り、まもなくベトコンがサイゴンに突入します。アメリカ軍は撤退を決断しますが、街は包囲されており、陸路で逃げることはできません。そこで、アメリカ大使館と沖合の空母の間をヘリコプターでピストン輸送する、という作戦が始まりました。一方、同じ民族同士であっても南ベトナム政府に深く入れ込んでいたベトナム人はベトコンにとって制裁の対象です。彼らは自分たちも運んでくれるよう大使館に大挙して押し寄せますが、アメリカ側に阻まれます。そんな中、クリスは一緒にアメリカに行けるよう計らうから家で待っているようにとキムに自分の銃を渡しますが、ジョンによって無理やりヘリに乗せられてしまいます。
13.サイゴン陥落
陥落から3年が経ち、サイゴン市はホーチミン市と名を変え、解放を祝う祝賀パレードが開かれています。一方、トゥイは軍で出世し、かつての仲間を部下にしています。彼らはエンジニアを同胞の女性を売った罪で逮捕し、トゥイの前に引き出します。てっきり処刑されるものと思いきや、トゥイはエンジニアに意外なことを命じます。
14.今も信じてる 1
離れ離れになってしまったキムとクリス。それでも、互いの思いが変わらないことを信じて、キムは待っています。
15.再び街で
エンジニアがキムの居場所を見つけ出し、トゥイはキムと再会します。トゥイはしきたり通り自分と結婚するよう迫りますが、キムは断固として拒絶します。その気持ちを何としても変えようと部下に命じて脅迫しさえしますが、無駄に終わります。その強い気持ちの理由はクリスとの間にできていた子供、タムでした。よりによって敵兵との間に子供が生まれていたという事実にトゥイは逆上し、タムを刺し殺そうとします。追い詰められたキムはクリスからもらった銃をトゥイに向けるのでした。
16.生きのびたけりゃ
トゥイとキムの対決の中、どさくさにまぎれて命からがら逃げ出したエンジニアのもとに、こちらも追われる身となったキムがタムを連れて訪れます。助けを乞う彼女を、最初は関係ないと突き放したエンジニアでしたが、タムがクリスの子と知るや、その姿勢は一変します。それは、タムがアメリカ人の血をひいており、連れていけばアメリカに入国できるかもしれないからでした。
17.命をあげよう
逃亡中の身、依然としてクリスと連絡はとれません。けれど目の前にはクリスとの愛の結晶タムがいます。
父親のいない環境で混血児として生まれたタムは、これから多くの苦難を負うことになるかもしれない。
たとえ自分の命を投げうってでも、この子に人生の光を当ててあげたい。今となってはその願いだけが、クリスへの愛の具体的な形でした。